食品アレルギーの根治療法 ―エビやまんじゅうの黒焼の話―

私は、いろいろな食品アレルギーになり易い性質である。これにハッキリ気づいたのは、第二次世界大戦後のことで、最初は牛肉アレルギーがあった。
戦争末期、誰もが経験したように、闇売の牛肉を食べたことに原因があったと思う。そのうち鰻のアレルギーにもなった。

それは、上京の途中、浜松駅で買った鰻の弁当にあたって、熱こそ出なかったが、赤痢のような粘液性の強い血便が出て困ったものだった。その後、鮭や鱒でも、食べるとすぐ大腸炎様の症状を起こすようになったので、これらの食品は、自分には特にアレルギー性が強いのだと、注意深く遠慮していた。そのうち、一、二年もたつうちに、いつしか、余り強い反応をおこさなくなってしまった。

ところが、昭和二十七年頃から新しく現れたのが、エビに対するアレルギーである。このエビの反応の様相はちょっと変わっていた。
何の予感もなく、エビの天麩羅をおいしく頂戴すると、それから三、四分程経った頃から、急に腹の中、殊に、臍の周囲で腸がうねつき初め、続いて、ひきちぎるような、絞めつけるような痛みが、腹のアチコチで始まり、時には軽い吐気を伴うこともあり、間もなく、すごい水瀉性下痢が現れ、たてつづけに二、三回から五、六回、ひどいときには虚脱し、失心することさえもあった。

こんな発作が起こると、甘草瀉心湯や生姜瀉心湯などの下痢止めの薬を服み、腹を温めたり、背中や腰の灸穴に灸をすえたりした。二、三十分もすると、さしものすごかった発作も忘れたように鎮まって、あとは全然、平常と変わらぬようになる。
こんな症状が、時折、原因も判らず幾度も起こった。初めのうちは、私の好物のエビのためなどとは想像もしなかった。しかし、そのような発作が幾回も繰返されるうちに、食べた物を吟味してみて、漸く、エビのためではないだろうかと思うようになった。

そのエビも、死んでから相当の時間をたって料理した場合がいけないようである。たとえば、中華料理、西洋料理、または大衆的な質のよくない日本料理につかうようなエビだと、ひどい発作にみまわれることが多かった。また、赤くゆで上げたエビで作った寿司でも、必ずといってよいほど、そんな危険があった。ただ、ピンピンと生きているエビを目の前で料理して貰った場合は、テンプラでも、煮ても、焼いても、また生つくりにして貰っても、決して前に言ったようなアレルギー症状を起こすことはなかった。
それから後は、すでに死んだエビ、殊に、尻尾の黒づんだものは、死んでから時間が経っているものが多いので、注意して食べないようにした。
このようにして、ひどいアレルギー発作は、大体予防することができた。

しかし、こんな消極的な方法は、私には気にいらない。何かもっと積極的に、このようなアレルギー症状を根治する方法がないかと、絶えず探し求めていた。ある日、漢方の名医である吉益東洞という人の本を読んでいると、その中に、茄子を食べると、必ず、ひどい腹痛を起こす人を茄子の黒焼で、みごと根治したという話が載っていた。私はその話を余り信用する気にもならなかったが、幸いに、自分が食品アレルギー症をもっているので、その真否を自分の体で試してみようかと考えた。早速、死んでから数日を経た古いクルマエビを五、六匹常法の如く黒焼にして、その極少量(耳かきに数杯位)を一日三回ずつ一ヶ月服み続けているうちに、私のエビのアレルギーは殆ど治ってしまった。

今一つ、私が悩まされた食品アレルギーは、ここ一、二年前から起こったものである。不思議なことに、私が非常に好きだった京都三条木屋町の「望月」というあん餅を食べると、およそ半時間位すると腹がうねつきはじめ張ってきて、非常に臭気の強い放屁がしきりに出るようになるのに気づいた。それも作りたて、買いたてのものでは、余り大した反応も起こらないが、買って翌日以降ともなると、必ずといってよい程、前に述べたような反応が起こり、ときには、強い腹痛や下痢さえ伴ってきた。その後、あんのものでさえあれば、たとえ、上等な「つるや八幡」のものでも、また、それ程上物でない場合でも、同じようにアレルギー発作を起こし、しまいには、銀座の有名な「そらや」の最中でも発作を起こすようになった。あんでも「コシアン」のものは余り大した反応を起こさないが、「ツブシアン」のものとなると全然駄目になってしまった。これは、恐らく、あんに用いる赤小豆の火の入れ方の強弱によって、蛋白質の変わり方に違いがあるのではなかろうかと考えて、今度は、まんじゅうを買いためて、数日経たものを薬屋に頼んで黒焼にしてもらった。

初め、饅頭の黒焼位と軽々しく考えて、少し多い目に服んでみて驚いた。服んでから三十分程すると、ギューっと腹が痛んできて、臭い放屁がしきりに出はじめた。これは、軽いが、まんじゅうアレルギーの発作と同じ症状である。それから、エビのときのように、慎重に、極少量ずつ、約三、四週間服用し続けた。おかげで、その後は異常もなく、今では、まんじゅうを少しくらい日数を経ていても、おいしく頂戴できるようになった。こんな話をしても、大抵の人は、アハハ・・・・・と笑うだけで、真面目に信じようとはしてくれない。だが、本当のことである。

世の中には、案外、このような食品アレルギーを知らずに、また、知っていてもいかんとも施す術もなく困り果てている人が多いものだ。時々、原因不明の腹痛や、下痢発作に見舞われて、自分は腸が弱いのだと諦らめている人もある。私は、エビのアレルギーだと確認してエビの黒焼で根治してあげた人も幾人かある。またサバを食べると胆石発作が起こるという人をサバの黒焼で治したこともある。恐らく、サバで出る蕁麻疹もサバの黒焼で治るのではなかろうか。

また、ビールや酒のアレルギーも稀にはある。ビールや日本酒の黒焼はできかねるが、モヤシや米のコウジを黒焼にして服めば、ヒョッとしたら効くかもしれないと考えている。
いろいろの食品アレルギーを克服することに依り、人生がもっと楽しくなるのではあるまいかと思い、ここに、私自身の経験と食品アレルギーの黒焼療法を紹介する次第である。

1966年7月 細野史郎

この記事を書いた医師

細野 史郎(ほその しろう)(1898-1989)

院長 細野孝郎の祖父
昭和2(1927)年京都帝国大学医学部卒業 昭和3(1928)年細野医院開設(後の医療法人聖光園細野診療所)

長男の小児喘息を治したい一心で漢方治療に取り組み、治療に成功する。以降も熱心に漢方治療に取り組み、京都の他、東京、大阪でも診療にあたる。日本東洋医学会設立に尽力し、昭和27(1952)年日本東洋医学会理事長に就任。多年に亘る東洋医学振興の功績により、昭和56(1981)年文部大臣賞を受賞。

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