酒・酒・酒

―はたして、よいものか悪いものか、ためになるものか、一向、役にも立たないものかー

酒とさえ言えば、食養生の道からは、ひたすら悪党あつかいされがちです。酒もその飲み方によっては肝臓をいためたり、高血圧や中風になったり、さては胃潰瘍だの胃癌にまでも発展するかのように見えることも少なくありません。だが、酒は決して真底から悪いものではありません。種々の病気と酒との因果関係を調べてみても、統計的には病気の原因が酒であると断定できる証拠は一つも出てこないのです。たとえば動脉硬化症、高血圧症、さては中風でもその発生率は飲酒家と非飲酒家との間に見るべき差が無いので、これ等の病気と酒との因果関係がはっきりしないわけです。だが、酒をたくさん飲んで、そして中風で倒れたという人があると、「ああ、あれは余り飲み過ぎたからね」などとすぐ人の口の端にのるものです。しかしこんなとき、「いや、酒とは関係ないよ」などと空うそぶく前に、もう一度深く考えて見る必要がある。それは、かりにこの人が酒をそんなに飲んでいなかったとしたら、中風などで死ななかったのではなかろうかという仮定も一概に否定できないからです。

では、酒は本当に悪いものでしょうか、よいものでしょうか。

肺を病む夫が妻にすすめられて毎夜少量の酒を飲むことにしました。それから不思議にも次第に病状は良転しはじめて、一時は不治とあきらめられていた状態から立直って、遂には全くの健康人となったという話を聞いたことがあります。またあるとき、ラジオからこんな座談を聞いたことがあります。七十才になんなんとした至って酒ずきの人がありました。彼はふとしたことから血圧が二百ミリ以上もあることを見付けられました。それを知って、「ああ自分はもう余命幾許もないのに決まっている。いっそのこと思い切りいい酒をうんと飲んで、猩々のように酒の香が屍からプンプンと匂うくらいに飲んで死んでやろうと」考えました。そしてその悲願を実行にうつしたのです。今まで惜しんでひそかに残しておいたお金も、それから身命にもかえられなく思っていた高価な品物も一切合切、特級酒にかえていきました。飲むわ飲むわ、毎日「一升」を超える日も少なくなかったのです。一方高血圧症はどうなったのでしょうか。今日か明日かと思っていたがなかなか死ねない。いつの間にか死ぬのも忘れて、一切の人間の欲を「酒が飲みたい」の欲にかえてしまってから、既に今、齢八十を超えても、まだかくしゃくとして酒に楽しみ、生を楽しんでいます。しかも、血圧は何と百二十ミリにおちついているとのことです。
皆さん、こんな幸福な人もあるのです。この人は人生の一切の欲を酒にかえたところに、悪い筈の酒にも不死身の身体となったのではないでしょうか。

私達が大学を出たとき、大学病院で水薬と言えば、S・マーゲンル(稀塩酸)1.0ccシロップ10.0ccにロートワイン(生葡萄酒)10.0ccを加えて食前に与えたものでした。これは先の例の少量宛ての酒を与えたと同様に適度に胃腸を刺激して食欲をそそり、消化をよくし、衰弱している全身の活力を振いおこすのに役立つのです。
三年程前(執筆時は1952年:編者注)、大阪の診療所で診た人の話です。心身とも全くへばっている、ひどい胃アトニー症の婦人が来ました。この人は今までどんな治療をうけても治らないので自分の病気のことを苦にして悲観し切っていたのです。私は漢方治療のかたわら、おちょこ一杯ずつの酒を飲むようにとすすめておきました。この人は内科的な治療法では殆ど救い難いと思われた程の重いものだったのですが、それから数ヶ月の後には他人もうらやむ程の健康な体となってしまいました。
また、あるひどいノイローゼの人が原因不明の腹痛で永年苦しんでいました。これまで、あらゆる西洋、漢方医の治療をうけたが一向に治らず、遂に私の所へやって来ました。薬と同時に「ミリン」の少量をすすめておきました。この人は全く酒はだめなのですが、私の言いつけ通り朝夕少量のミリンを飲み続け、程なくさしもの難治の腹痛も忘れてしまいました。しかも、その後は全く明朗な愉快な気分の人に変わってしまいました。
この場合などは、酒やミリンの少量が病気を治す一転機を作り出してくれた例なのです。

このようにみてきますと「酒、必ずしも悪からず」と断定したくなります。だが、だからと言って決して早合点は禁物です。

我々の医学の教えでは酒はあらゆる病の原因だと断定されています。曰、肝臓病、肝硬変症、曰、腎臓病、曰、心臓病、曰、本態性高血圧症、動脉硬化症、曰、胃病それに胃癌等々。ただし酒を飲まない人にもまたこんな病気が発生するのを見ますと、酒、必ずしも真の原因ではありません。しかしたしかに遠因の一つにはなるに違いありません。
酒を少しでも好みにまかせて続けてみて、次に一、二日酒を休んでみてごらんなさい。乳児の母乳以上にほしくてたまらない気持ちをおさえる苦しさは確かですが、その休んだ間の身も軽々しいことは経験しなくては想像もできません。
よく酒が続きますと、つい物事を考えるのもめんどうくさくなるものですが、それも酒ゆえだったことがわかってきます。
こう考えてくると、酒はある特定のとき以外は、たとえば今肝臓病がある、その治療中だとか、今まさに高血圧で刻々として動脉が硬化しつつあるとか、胃が荒れて潰瘍ができたりしているとか、などには一滴でも飲むべからざるものだと考えた方がよろしい。その他の場合は必ずしも禁ずべきではないと思います。
酒は人々の鬱を払い、気を快にして諸臓器の機能を高め、精神にも肉体にもよい影響を与えるものですが、それはごく少ない量のときにのみ限られているようです。もし酒を限りなく愛するが故にその度を越えれば、酒は酒をよび、遂には一人、一家の経済を破るのみでなく、国家の経済をも破るに到らしめるものとなります。ましてや、一身一霊の死命を制するくらいのことは、何の手間暇もないことでしょう。
だから、私はこう叫びたい。「たしかに酒は宜しい。しかし量を過ごしてはなりません」と。その量とは如何?それは酒にして五勺から八勺、ビールなら小瓶、たかだか大瓶一本程度がもっとも良い頃のようです。しかも、いかに欲しい酒でもまた少量の酒でも毎日は続けないのがいわゆる酒積(酒が身体にのこって大病のもととなっていること)となることを防ぐ方法です。すなわち、少なくとも一日飲めば一日やめるという筆法です。

1952年2月 細野史郎

この記事を書いた医師

細野 史郎(ほその しろう)(1898-1989)

院長 細野孝郎の祖父
昭和2(1927)年京都帝国大学医学部卒業 昭和3(1928)年細野医院開設(後の医療法人聖光園細野診療所)

長男の小児喘息を治したい一心で漢方治療に取り組み、治療に成功する。以降も熱心に漢方治療に取り組み、京都の他、東京、大阪でも診療にあたる。日本東洋医学会設立に尽力し、昭和27(1952)年日本東洋医学会理事長に就任。多年に亘る東洋医学振興の功績により、昭和56(1981)年文部大臣賞を受賞。

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