「私はこの頃大便が細くなってきたのですが、わるい病気が潜んでいるのではないでしょうか」と問いかけられたことがあった。それは癌ではないかと心配する中年の細い婦人であった。また、五十がらみの中肉中背のSという婦人が来院した。この人の訴えは、去年の八月頃から急に大便が出にくくなり、下剤や漢方薬をのんだりして毎日出ているが、細くてしかも出にくい。レントゲンで調べてもらったが、さほどのこともなく、治療をうけても一向変変わらなかった。こんなことでなんとなく気を病み、自然不眠となり、次第に痩せてきた。そこで、人にすすめられて来院したのだった。
こんな問題は、日常茶飯事として、大抵の医者は真剣に頭を使ってくれない。しかし私は、こんな質問を放たれた時から、「細い便」ということが脳裏にやきついて、いつでもトイレに入ったとき、仔細に大使の硬、軟の度、太さ、形、その出ぶり等をしげしげと観察するようになってしまった。
夜、盗人が人家に押入った時は、必ずその入口近くに大便がうず高くしてあるという説が世間にある。これは盗みに入ることに成功する「まじない」だと聞いたことがある。
私が子供の頃、叔父の家に夏休みの数日をおくったことがある。たまたま夜に、盗人が入って一仕事をしていった。が多勢の家人は誰ひとり気付かなかった。その時、入った所から四−五メートル離れた土上に、大きな「きねぐそ」がもりもりうず高くつまれていたのを、子供心に変に思えてならなかった。後年、私の京都の宅でもそのような事があり、それがとても不潔で忘れられない。これに類したことは、落語家の笑いの種の一節にもある。
しかし見逃してはならない一事は、必ずその「便の太さ」が問題になることである。
話はかわって、今年の一月二日のこと、私は日頃の念願通り富士山を写しにいきたいと考えた。幸い好天に恵まれて、宿のあてもないまま早朝の東名道路を東に向かった。運よく川口湖畔に一泊、翌朝目ざめると同時に手洗いにいった。ところが、これまでに経験した事のない太さ径三センチ位の便が、はちきれそうな実感とともに、やわくグルングルンと出てきたのには驚いた。実に太い便である。
大便をしみじみと哲学するようになって十カ月、ようやくこれで、一時に疑問が解けたと思った。日頃、むずかしい病人さんを多くあずかり、懸命で、あのような細いものしか出なかったのだ。今は、それから身心ともに解放され、ストレスのない境遇におかれて、かくも太やかな大便をへり出す仕儀になったのにちがいない。便の太さは、肉体的な欠陥からよりも、精神上の問題で、いつも大腸、直腸を緊張状態にするため、細い便や切れぎれの便、残便感等のある不快な排便になるのであろうと考えた。
こんな推理を確かめるために、もう一度、排便のしくみを生理学の本によってしらべよう。
大腸は、盲腸から始まる上行結腸、横行結腸、下行結腸、S宇状結腸と直腸より成っている。
小腸で消化吸収された残りの部分は大腸内の細菌にまざり、残渣中にまだのこっている糖類、蛋白などを発酵、腐敗させる。発酵では、乳酸、酢酸、酪酸、プロピオン酸、アルコールなどのほか、炭酸ガス、メタンや水素ガスなどを発生させる。腐敗では、これらが案外その人の生命をいささか蝕む害となることも少なくないが、一方では、必要ないろいろなビタミンを作りつつあることもある。ところが、結腸というところは大体において、蠕動は弱いものだが、人間では、時に強力な蠕動が横行結腸から起こることがある。この大蠕動は、一日中に二・三回あって、主に胃に食物が入ったときに反射的に起こるのである。つまり食事中とか食後に便意が起こるのも、このためなのである。元来、下行結腸は、常時、全くからっぽなのだが、この大蠕動によって移動した内容物が、S字状部に停留する。このS字状部と直腸との境い目に五センチぐらいの間が輪のようになっている筋層の部分(骨盤結腸括約部)があるので、それが緊張して収縮していると、S字状部の内容が直には移動しない。もし、この大蠕動が起こったとき、S字状部にもし糞塊がすでにあると、直ちに直腸に移動し、これが直腸の粘膜への刺識となって便意が起こることになる。
さて、ここで排便のしくみが活動する。直腸に内容が送られると、直腸壁はのびて、内圧が高くなる(三〇−四〇mgほど)。これが所謂便意を催さす。このような排便反射は下部背髄内の中枢に統御されている。この排便の中枢は、更に上位の延髄の中枢からも支配をうけているので、かように一旦おきた便意も即時排便とならず、しばし、自分の気持ちでも抑えることができるのは、下部中枢の妄動をたしなめる延髄からの制御の賜物なのである。さて、排便に際しては、直腸壁内に縦に走っている筋肉が、急激につよく収縮すると、直腸の縦径が短くなり、内容は肛門に向かっておし出される。そこで、肛門括約筋が弛緩して、肛門が開き糞便が体外に放り出される。
ここで大便の太さに二つの事柄が関連する。その一つは、肛門の括約筋が内側と外側の二つの群に分れていることで、内側の内肛門括約筋は、平滑筋なのである。これは全く自律神経支配下にあり、この神経の興奮状態の如何により左右され、意志の力では如何ともされない。ところが、外側の外肛門括約筋は横紋筋なので、当然、気持の次第によってゆるんだり、締まったりする。だから一旦便意が起っていようとも、ある程度、排便現象はさしひかえることができる。これは都合のよいことであり、食事中とか食後直ちに、たとえ便意が起こっても「一寸失礼」などと言って立つこともなく、人間が孔子の教えの通りに唯の人間らしく行儀正しくしていられるのも、このお蔭である。しかし、いつもこんなブレーキをかけすぎると、おしまいにはS字状結腸が弛緩状態となって、常習便秘をひきおとす結果になる。ところが前述の自律神経支配下にある内肛門括約筋では、精神の興奮状態にあるときには、もろにその影響を被って、内肛門括約筋は緊縮状態であり、自ずと肛門の内径を狭ばめ、直腸内容の硬さの如何によっては、もし硬すぎると兎糞状になり、又前後端が尖った山羊糞状にもなって、ポツンポツンと出る。又、硬度が比較的軟らかいと、この内肛門括約筋の緊縮した細い形に随って、細い細いニュルニュルとした金魚糞の便形となるわけである。即ち、この物語の冒頭にかかげた患者さんの疑問もこの肛門の括約筋のことを考えれば、自ずと明らかとなるはずである。言いかえると、気持ちがリラックスしてさえいれば、便は、必ず太い快便が出て、いろいろと心に緊張がつづく状態では、細い便形となる。だから後者は、少なくとも精神的に不安定な興奮状態にあるためなので、血液は酸性になり、強いて言えば、既に病的な状態にある人だともいえよう。
私達がつねに自然食を教え、肉食をつつしみ、糖分を少なくしようとお話ししているのも、この血液の酸性化を防ぎ、自律神経系の安定性を築き上げるためである。
1971年12月 細野史郎