細野漢方診療所 Hosono Kampo Clinic
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便について

毎朝、快便が出ると、お腹も楽になり、何か気分まで晴れやかで、その一日が気持よくすごせるものです。ところが快便というもの、そう毎日なかなか思うように出てくれません。なかには、生れてこの方、快便なんてお目にかかったこともないという人もあります。

最近、NHK・TVの「生活の智恵」の時間で、怒った時に、どのような変化が人間にあらわれるかを取りあげていました。人間が怒ると、胃や腸などの消化器管は、今までのゆったりとしていた動きから、苛立たしい、荒々しい動きに一変します。胃は、硬直し、千切れてみえます。脇の運動は、大体肛門の方に向かって運動するのに、胃の方へと、反対方向に運動しているところもあれば、又、正常方向に動いているところもあります。しかも、その動きは、リズミカルでなく、支離滅裂、荒れ狂った濁流の様に、腹の中を動きまわっています。昔から、「はらわたがにえくりかえる」とか「はらわたがひっくりかえる」などと「怒り」を表現しますが、この言葉通り、お腹の中は煮えくり返っているのです。

動きばかりでなく、胃の粘膜も充血していて、チョッと手をふれても出血する位になっています。だから、怒りやすい人は、胃潰瘍になりやすい訳です。胃液や腸液など、消化液の分泌は、怒っている時は減少するので、怒りながら食事をしたり、テレビ番組をみながら食べたりすると、消化不良になります。

太い、長い途切れのない便、硬すぎず、柔らかすぎず、シリをふいても紙がよごれない便、この様な快便が出る為には、胃腸は云うに及ばず、肝臓、胆、膵臓など、消化管の働きが正常でなければいけません。特に、腸の運動はリズミカルでなければ、きれいな大便は出てきません。しかも、その消化器管が、人間では精神状態で左右されるのですから、このストレスの充満した世の中では、なかなか、快便が得られないのも当然です。

江戸時代に、甲斐の国に、永田徳本という奇行にとんだ名医が住んでいました。生国は三河とも言濃、甲斐とも云われ不明ですが、甲斐に住んでいることが多く、武田家に仕えていたので、甲斐の徳本とも呼ばれていました。武田滅亡後は、諏訪湖の西辺に庵をつくり、寛永七年二月十四日、一一七歳の高齢でなくなっています。

徳本先生の医術は、豪邁不覇の性格から思い切った治療法が多く、強い下剤や吐剤、水銀、ヒ素などの劇薬を用いて難治の病気を治しています。寛永の初め、二代将軍秀忠が難病に罹り天下の医者がいろいろ治療をしても効果なく、徳本に治療を依頼したことがありました。その折徳本は百有余歳、牛にまたがって、甲斐から江戸城にやってきました。将軍を診察して、強い薬を処方しました。並いる医者達は、こぞって反対しましたが、徳本は莞爾として、その利を説き、秀忠に、その薬をのませました。一服にして、長年の病疾は霧散したそうです。

徳本は、殆んど草庵ですごしていましたが、時々青牛にのり、薬箱を角にかけ、貧民を治療しています。その治療費は誰でも十八文でした。将軍を治癒した折も、十八文以外は固辞して受けとりません。これは当時の医者が営利に走っているのを徳本が悲しんで、反省を求めるために行ったものなのです。

この永田徳本は遺書に、「無病の人の大便は、丁度、死んだウナギの様に、ニョロニョロとちぎれないで、真直ぐに出てくるものだ。しかし、大便の出方がでにくかったり、千切れたりするのは、お腹の中に悪いところがある。大抵腸が緊張しすぎているためである。腸の緊張がなく、ゆったりとしていれば、大便は連続してでてくる。」と書いています。

徳本先生の云う腸の緊張は、腸の癒着や炎症など、腸に異常がある場合以外でも、前述したように精神的にも−例えば、「怒り」などの場合−おこってきます。泥棒が入り込む家の庭で排便したりするのも、緊張からきた腸運動亢進の結果です。又、旅行すると便秘したり、反対に下痢するのも、やはり不安と緊張のもたらしたものです。

古代西洋に「腸が規則正しく正常に働く人は、非常に長生きする」ということばがあります。事実、腸の異常は、消化吸収不良による体力の消耗以外に、頭重、腹痛、記憶力の減退や、心悸充進、めまいなどの、自律神経不安定状態をおこしてきたり、腰痛、下肢痛、狭心症様の神経痛の原因にもなります。

腸を丈夫にするためには、よく噛んで、腸にいつもリズミカルな運動を忘れさせないこと。冷たいもの、甘いもの、果物、生野菜などの食べすぎは、内面からお腹を冷やすので、注意することが基本条件です。更に、精神状態を平静にするように心掛けること。

NHKのアンケートによると、殆どの人が何らかのことに怒りを抱いて、緊張した日を送っているそうです。「怒る」ことは、医学的にみても非常につまらないことで、すべての内臓に緊張状態をかもし出します。血管系に緊張を生じると、血圧上昇、心臓の血管の緊張から狭心症を、頭の血管が緊張すると頭痛をおこしてきます。筋肉が緊張すれば、肩や全身がこり手が震えてきます。消化管にくれば、下痢や便泌がおこってきます。その結果、最悪の場合は、中風になりかねません。

渋谷天外は、大変癇癪もちで、一日中怒っていたそうです。その結果、御覧の通りの中風になりました。現在では、医者の忠告をとり入れて、怒ることを忘れることができるそうですが、我々凡人には容易に出来ないことです。

最近アメリカでマーフィー理論が注目されています。『眠りながら成功する』という本が日本でも出版されましたが、この本の著者、ショセフ・マーフィー博士の説です。この説は、別に目新しいものでなく、自分自身に暗示をかけて、自信をつくり出すといったものです。だから、怒りやすい人は、毎日いつも、私は怒らない、幸福になるために、どんな事にも腹を立てないということを、お経の様にくり返しくり返し、つぶやいて下さい。そうすると、自然と怒らないようになります。

1968年9月 細野八郎

出典:「病と漢方」1980年発行

この記事を書いた医師
京都診療所 細野 完爾(八郎)

細野 完爾(八郎)(ほその かんじ はちろう)(1930-2020)

院長 細野孝郎の父
昭和31(1956)年京都府立医科大学卒業 昭和33(1958)年聖光園細野診療所にて勤務開始

幼少のころ、小児喘息にひどく悩まされ、父細野史郎の漢方治療により病を克服。父の意志を受け継ぎ、喘息やアレルギー性疾患など多くの患者の漢方治療にあたる。

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