旧年の暮頃から、子供づれの野猪(いのしし)が、ちょうど比良山に近いその名も麗しい蓬萊山の麓などで、働いている人々を襲ったというニュースを新聞でみたことがある。その時、私は「ああ、やはり畜生とはいえ、自分の年である“亥”の年が、どこらあたりまで来ているであろうかと、見物に出かけてきたのかなあ」と酒落を言ったことがあった。
まさしく、今年は“亥”の年である。それは“野猪”(いのしし)に全く通じる。「本草綱目」という本を開いてみると、『野猪(ゐのしし)の形は家猪(ぶた)のようだが、ただ腹が小さく脚が長くて毛は褐色だ』とある。すなわち、野猪(ゐのしし)の形は豚の如く、これを一層小さくしたものは土竜(もぐら)、さらに微細なものとなると、家に時にみられる蚤(のみ)の形を思い出せばよい。
この動物は、甚だ気が短く、よく怒るというのが特徴で「何を怒るや怒り猪(い)」というような名句が、名曲・城山(勝海舟の作)にあるほどである。
その怒り方の恐しいことは、かの豪邁無比の天皇だったという雄略天皇でさえ、猪のうなり声を聞いて、おじけづき榛の木へ逃げ登られたという話が、古事記にのっているくらいである。
また、猪がつっかかって来るときは、真直ぐ前一方で、ちょっとむきを横に変えることすらしない。また後へ引きかえすこともしない。だから進むことしか知らない荒武者のことを、昔、猪武者と言ったもので、そんな猪の習性は、恐らく首のないせいなのだろう。
猪のことを、「ゐのしし」または「ゐ」とか「しし」と言う。“ゐ”は“居”に通じ、定まって動かないことをあらわすことばである。たとえば人が坐して動かないものを居”と言い、水が定まった所で湧き、流れないのを“井”と言い、草のただ一筋に生い出でて、枝葉のないのを“藺”というように、この動物のように首が直に向っていて、傍の方にふり動かすことができないので、このような名となったものであろう。それにしても、何かこの猪の性質は亥年生まれの人にはある。
この猪が人間に飼いならされた、いわゆる猪の変種が、日常我々の大切な食料である豚である。そのように飼いならされた起源は、ずいぶん古くて、中国では凡そ四千八百年も前からだといわれ、豚は「家猪」と言って家畜の分類に入れられている。また日本では、約二百五十年前、琉球に輸入され、百五十年前からは、九州の南部に伝来し、その後、日本各地に繁殖したのだそうである。
さて日本では、野猪は、その肉は赤く、いささか野生的な風味と匂いがあるが、なかなかの美味なところから「山鯨」との一名さえある。京都では、洛北から洛西にかけ、丹波路の福知山、綾部、湯の花温泉などでは“ぼたん鍋”という猪の料理がある。猪の肉を白味噌のだしでサット煮き上げ、ポン酢のたれで食べると、骨まで冷えこむような寒いときでも、身体のシンから温まって、かつ、猛烈なスタミナがつくと言われている。
私は、まだ「ぼたん鍋」を味わった経験はないが、一度だけ、しし肉のすき焼を食べたことがある。丹波の雲ヶ畑の患者から、猪肉を三百匁ほどお土産にもらった。山の獣肉の珍味というので、早速、何の考えもなく、そのまま青葱やセリを入れ、すき焼をして、おいしくおいしくいただいた。
その晩のこと、満たされた腹をいだいて全く普通のように寝ついた。ところが、実に寒い冬の夜だったにもかかわらず、子供も私も床からころげ出て、畳の上に寝まき一枚で大の字に寝てしまっていたのである。夜があけて、朝寒むにふと目をさますと、かかる次第。全く、それにしても夢心地だが、夜中じゅう身体の中が燃えるようにあつかったことを、切れ切れに覚えていた。その時の感じは今まで忘れられないほどの悩ましさだったのを覚えている。
とにかく、猪肉を食べるのは、何となくおそろしく、それでいて、ほんとに身体のシンからあたたまるという実感が去らない。
世の中で、猪肉(しし)くった報いだとか、猪肉食えば、それまで潜んでいた病気が出てくる、などというのも、このためかなと思わざるを得なかった。
この猪肉を薬用とするのは、煮たり焼いたりして食べさせるか、また、胆(きも)の乾燥粉末も用いる。その効能は、利尿作用があるとか、黄疸を治すとかとも言われているが、寝小便に効くという人もある。それは猪肉の温める作用のためと考えられるが、その点、冷症の人にも、また痔出血の人にもよいと言われる。しかし、その際は、ぼたん鍋のような味噌だきにすると副作用が少なかろうと思う。
最後に一言、“ぼたん鍋”という名のおこりは“唐獅子”に“牡丹”というところから出たそうである。
1971年1月 細野史郎