細野漢方診療所 Hosono Kampo Clinic
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砂糖をとりすぎるな!

勤労者世帯が一ヶ月に食べるお菓子を国民生活白書でみてみると、昭和三十六年では、ざっと主食の四分の一は食べていることになります。お菓子と我々の生活は考えてみると断ち切れない関係にあります。お茶のお菓子、間食のお菓子、夜食のお菓子、・・・。患者さんに菓子をやめなさいと言っても、どうにもこればっかりは・・・と確約をさける人がかなりあります。
昔はナマ菓子には蜂蜜や干柿をきざんで入れたり、アメを使ったり、“あまずら”の煎汁を使って甘くしていましたが、最近では白砂糖を使うようになりました。その上、販売されている殆どの食品に砂糖がいれてあります。そのため、白砂糖の害を検討しなければならなくなってきたのです。

杉靖三郎先生は「白砂糖にはB1とB6がない為、体内では不完全燃焼して体内の細胞の活力を衰えさせる。その結果、健康を害し、成長をわるくし老化を早める。喫茶店で若い女性がコーヒーや紅茶に砂糖を沢山いれ、その上、菓子まで食べているのをみると、あッ気の毒に脂肪太りになり、早くふけるだろうにと思う」と言っています。
砂糖キビはミネラルやビタミンに富み、新陳代謝を円滑にする酵素も沢山ありますが、これに化学薬品を加えて分解、漂白すると栄養価の低い白砂糖になります。栄養価がない丈ならよろしいが、とりすぎると人体に害を与えるから厄介です。コーネル大学のマッケイ教授は、「砂糖が発見されなかったら、我々の健康はもっとすぐれていたであろう。」と歎いています。

戦前、良識のある少数の医学者は砂糖の害を実際に証明して警告しました。
兎に白砂糖を与え、生まれた子兎を見ていると、ろうで脳水腫の兎が生まれてきます。数年もたつとその兎の子孫は殆んど脳水腫とろうの兎ばかりになるそうです。生まれつきろうの人の母親を調べると、皆、砂糖の過食者であったとも報告されています。有名な阪大の片瀬教室からも白砂糖を沢山兎にやると、心臓が弱くなり、聴覚が全例、不完全になったと砂糖の害を述べています。
杉教授の言葉のように白砂糖はビタミンB類が不足するので体内で完全に燃えるため、体中のビタミンB類を利用します。そのため、B不足―脚気になり体がだるく、眠たくなり、動悸がうつ、神経痛がおこる、体がはれる、気がイラ立つ、頭がわるくなる、不眠などの症をおこしてきます。

ある結核療養所に努めていたときに、こんな経験をしました。
糖尿病と結核のある患者、レントゲンをとると今迄になかった所に突然、大きな空洞ができていました。血糖をみてみると、今迄よりグンと糖がふえていました。そこでインシュリンの量をふやして血糖を下げてやると、すぐ空洞が消えてしまいました。このように糖分が血液中に多くなると、病気に対する抵抗力が非常に弱まります。そのため、皮膚病になったり、風邪をひきやすくなったり、寒さに弱くなったりします。

白砂糖はミネラルに乏しく、食べすぎると体内のカルシュームと燐のバランスをくずします。このため、虫歯になり易くなります。「チョコレート九個分に含まれる糖分は二時間半以内でカルシュームと燐のバランスをくずし、少なくとも、三十二時間虫歯に犯されやすい状態を保つ」とアメリカのある医師は言っています。

砂糖をとりすぎると不思議なことに、三時間後には血液の中の糖が急激に以前より減少します。また、カルシュームも同様に減少し、それと共に疲れを感じるようになります。疲れた時、甘い物がよいと言いますが、なるほど、そのときは元気が出てきますが、次第に疲れを覚えてくるものです。その理由は急激な血中の糖分の減少によります。このような血糖の少ない体は、サンドラー博士の実験によると、小児マヒにかかり易くなります。昔、日本に小児マヒは少なかったようです。ところがアメリカの物資が入り、砂糖文明になると共に小児マヒの流行がおこり、哀れな子供がふえてきました。こんな子供をもつ母親は反省しなければいけません。こんな無責任な母親は、サミエル・バトラのユートピア、エレホン国にでも住んでいれば、罪人として牢獄生活をしなければならないでしょう。
リューマチも砂糖の食べすぎ。天罰として耐えられない痛みと四肢の自由を奪われます。

甘い物の欲しい方には黒砂糖と蜂蜜をおすすめします。栄養分にとみ、白砂糖のような怖しい害はありません。ハウザーは美容長寿食品として黒砂糖と蜂蜜をすすめています。いずれにしてもとりすぎないことが肝腎なことは言うまでもありません。

1965年5月 細野八郎(完爾)

この記事を書いた医師
京都診療所 細野 完爾(八郎)

細野 完爾(八郎)(ほその かんじ はちろう)(1930-2020)

院長 細野孝郎の父
昭和31(1956)年京都府立医科大学卒業 昭和33(1958)年聖光園細野診療所にて勤務開始

幼少のころ、小児喘息にひどく悩まされ、父細野史郎の漢方治療により病を克服。父の意志を受け継ぎ、喘息やアレルギー性疾患など多くの患者の漢方治療にあたる。

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